さくらまだかな。

ここ最近、わたしは本当に散歩ばかりしている。
花粉症なのに外に出て公園のベンチでひなたぼっこをしたり、荒川の枝流のほっそい川の少しだけ舗装された東屋でひなたぼっこをしたり、家からバスで10分と言う距離を歩いて駅前まで出て星野珈琲で昭和のプリンを食べたりしている。

本を読むことが好きで、文を書くことが好きだったのに急にそれに集中出来なくなったから息抜きのつもりで始めた散歩だったのだけれど、人間やっぱり外の空気を吸った方が呼吸が楽になるのかもしれない。
休みの日に一度は散歩をすることが大切な時間になった。

外の空気を吸って陽の光を浴びて深呼吸をする。
文明が発達して、文化がこんなに飽和状態になる前の世界、生きるための狩猟以外の時間はこんな風にずっと外の空気を吸って、陽の光を浴びて、深呼吸をしていたのかもしれないとぼんやりと思う。
「なるほど」
と、何になるほどと思ったのか分からないけれどそう言葉が出て来た。

散歩を始めてからまた段々と本が読めて、文が書けるようになってきたのだけれど、最近ページをめくりはじめた本に「なるほど」は分かっていない人が出す言葉だと書いてあって遅れて「なるほど」の使い方は合っていたのかもしれないと思った。
そう言えばわたしはよくなるほどと言うなと思った。
わたしは何も分かってないのかもしれない。でも、何もわかっていないことを困っているわけでもないしそのままのんびりと趣味で文を連ねてたまに「好きです」と恋文を貰って一喜一憂しながら生きればいいのかもしれないなと散歩をしながら取り留めのないことを考えたりしている。
散歩とはきっと心や気持ちを方々に散らしながら歩くことなのかもしれない。
この間の散歩はそういえば陽が沈みそうな頃の空がいちばんきれいだったな。

うまく写真には収められていないのだけれど、結構きれいじゃない?

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空がすっかり水色だから、淡いさくらが待ち遠しい。
読んでいる本はくらげが空から降るとか言っている。
降りはしないと思うけど、でも目をぱちぱちさせたら、たぶん花粉症のせいで目やにがくらげに見えそうだなって思った。
そういえば、さくらとくらげってなんかふわふわしているところと人を魅了するところが似ているよね。
今さくらみたら、くらげを彷彿としそうだなと思うあたり、読んでいる本は思いの外わたしの気持ちを搔っ攫っていっているんだな。
早く続き読もう。