悪人 メイキング

どうしようと言うくらいメイキングと対談をリピートしています。
ネタバレなどなので続きは以下。

対談でわたしがこうで在ったらいいなと思っていた事柄が肯定されていたので、それが単純に嬉しかったのと、キネマ旬報で作品賞を獲ったときの品評にどなたかが『9月から悪人が頭を離れない。』と仰っていて正しくわたしもそれなのでしょうね。好きなんです。理解はしているんだと思います。ただ感情が追いつかないと言うか。ええ。

こうで在ったらいいなと思った事柄は、
「休憩中でも深津さんと一緒にいたよね。深津さんが寄り添っていたと言うか。」
「そうですね。」
「でも特に何を話すわけでもなかったんでしょ?」
「そうですね。特には何も。」
「深津さんも光代に寄ろうとしていたんだよね〜。」
と言うような李監督と妻夫木さんの言葉が合って、ああ、やっぱりそうだったんだと思って嬉しかったんですよね。
やっぱりそういう空気って画面に出るじゃないですか。わたしが深津さんをずっと追っているからかもしれませんが、深津さんって特にそれが顕著だと思うんですよね。
深津さんは自分の中にない事柄を演じるときは本当にぎこちないと言うか何かが足らない空気があるときがあるのだと思うんです。それはほんの少しの機微だったりしますけど。でも今回は限りなくその空気が皆無だった。
だからずっと光代と寄り添って来たんだろうと思ったんです。深津さんの漏らした「祐一としてしか見てなかった」と言う言葉も自分の考えが肯定されたなと思ったことではあったんですけど本人ではなくて第三者から見たものとして聞けたのが嬉しかったと言うか。はい。

そうそう、メイキングで印象的だったのが

首を絞めた後カットがかかったときに深津さんに手を伸ばす妻夫木さんでした。表情がなんか祐一だなと。
祐一は閑村の閉塞的な場所でなんでもかんでも頼られて“してあげる”とか“やってあげる”とか献身的な部分が合って、一方の光代は“してもらいたい”とか“やってもらう”部分が祐一と付き合うことで芽生えてきていて自らはあまり手を伸ばさない印象が有ってすごく自然な流れで手を伸ばしている妻夫木さんが印象的でした。はい。

あとは、なんか光代が可愛いと言うか女の子全開な未公開が面白かったですね。これを本編に組み込んでいたらたぶん悪人は説明しすぎな映画になってしまうし、何が悪人なのかではなくて誰が悪人なのかとなってしまう。そもそもの映画の意味が変わってくる気がしたのでばっさり消えたのは良かったんじゃないかと思います。はい。

と言う訳で、ちょっとこの深津さん可愛いですと言うキャプとなんか好きなキャプをば。


はー、もっかい見よう。