最初の晩餐 完成披露上映会(追記2019.09.28)

2019年9月15日新宿ピカデリー(シアター1)
最初の晩餐 完成披露上映会に行って来ました。

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上映前挨拶が行われて、染谷将太さん、戸田恵梨香さん、永瀬正敏さん、斉藤由貴さん、常盤司郎監督が登壇されました。
司会は奥浜レイラさん。
7年間の構想期間を経て、上映にこぎつけたこの作品だからこその質問だったのかな。
直球に役を引き受けた理由と想い出の食べ物の2点が質問があって、すらすらと答えられるテンプレ回答じゃなくて、思い出したり、ひねり出したりして各役者さんたちが言葉を紡いでいたのがよかったなと思いました。
戸田さんに言及すると、役を引き受けた理由はまだ、役者は染谷さんしか決まっていなくて、ちょうどそのころ家族について考えていた時期で、家族がどういうものなのか分からなくなっていたり、家族のことを意外と知らないんだなと思い悩んでいたから、まだ台本を読んでいなかったけれど、話を聞いて役を受けたら答えじゃないけれど、分かっても分からなくてもいいけれど、何かが見えるような気がして受けたと言う言葉が印象に残っています。
あたりまえなのかもしれないけれど、来た役をぽんと受けるんじゃなくて、一度、器になって受け止めてから見えてきそうだなとか、成長できるんじゃないかなとか、自分自身に期待が持てる作品を選んでくれていることが嬉しい。
本当に、役者戸田恵梨香だと思えるし、わたしは役者の戸田さんが何よりも好きだから、そこに偽りもない考えをこういう場やインタビューで応えてくれていることが幸せだと思います。

(以下映画ネタバレを含んだような感想)

映画自体の感想を書こうと思うと、わたし、この映画すごく好きです。って言葉がいちばんしっくりくるかな。
温かい映画と言ってしまうと安っぽくて嘘くさい言葉になりそう。人情はあるのかもしれないけれどそこは深くなくて、在るのは人と人。家族の前に人と人だなって思える映画。
海外記者のレビューを読んでいたから、食卓がすごくメインなのかなと思っていたけれど、そこもぐっと深いわけじゃないんだなってなった。
でも、それは『普通』の光景なんだろうなと思える。人が生きていて、出会う当たり前の日常なんだなって。
バランスが慎ましくて、ときどき自分の追想に飛ぶんです。
頭の中で、わたしの家はこれが定番だったなって。意識はちゃんと映画に向いているし、目もずっとそこを追っているのに、考えているのは自分の追想。役と私生活の境が分からなくなると言う言葉を以前、大恋愛のときに戸田さんの口から聞いたけれど、わたしは映画と日常の境が分からなくなった。
終わってから後方の席だったので、空くまで待ったけれど、本当はうまく立ち上がれなかった。なんか分からないんだけれど、胸がつまるような感覚でぎゅうってしているのと、どこかふわふわしているのと。
映画の中に心を置いてきて、あ、拾いに行かなきゃなって足に力を入れたら立ち上がれたそんな映画だった。

風景も懐かしくて、幼少期と成年期の切り替わりがすごく見事だなと思った。
違和感がないと役者自身も口をそろえていたけれど、本当にそう。美也子に限って言えば、魚の骨の場面と、シュンにぃとのはじめての攻防の起こるお味噌汁の場面がすごく好き。大人になってから骨がなかった理由とか、誤解している弟の考えているところを解かずにまた味噌汁を飲み干すところとか本当にいいなって。「余計なことを」って言う美也子は後述するけれど、義母に対する反発心がまだあるんだなと。
見事に、美也子は大人になるとこう育つんだろうなと思える。
とあることがきっかけで、美也子は旦那さんに「お前何がしたいんや」と言われるのだけれど、幼少期の美也子もそうなんだよなって思う。
「何がしたいか分からないけれど、その何かになりたい」は美也子のずっと根底にあるものなんだなって思う。反発心がうまく消化できないまま大人になったんだなと言うか。それが解けたら美也子はすごくすてきな女性になるんじゃないかなと思う。
そこまでは描かれていないけれど兆しの見えるところで映画は結しているから、なんかすぐそこに在るように感じる映画なのかもな。
しばらく考えちゃいそうだな。
でも、わたしはそれが楽しい。

観れてよかった。
また、公開したら足を運びたいと思います。それこそ足繁く。

はたと思い出したことが、冒頭のらーめんを食べるシーン。
あそこ、思い返したらひとことで美也子と義母の関係性を伝えているんだなと思いました。
病院の食堂、もう閉店をしているところで、ふたりでこれ以外なかったのかとか文句を言い合いながら食べているんですけれど、食堂の人にせっつかれて食べ途中でお金を支払うんです。そのときに麟太郎が財布を取ろうとすると美也子が「いい、お母さんから貰ってるから」と言っていて、「こんなときだけお母さん」って言うんです。
すごくぼそりと。
これ、すごいなって、この一言で美也子がまだ本当のお母さんだと思っていない、ってことが分かるんです。何気に通り過ぎてしまったけれど、麟太郎も美也子ずっと思っている感情がすんなりと出てきて、無駄な説明がなくて、いいなって思いました。
わたしの主観ですけれど。はい。