大恋愛 第7話

第7話を見ました。
初めてのリアタイ。コーヒーを片手に一時間弱。
繊細な話だなぁと改めて感じた7話だったな。



今日が祝日でよかった。
仕事終わりに疲れて帰ってきて観たらたぶん、冒頭でなんでそうなるの?と感じていたかもしれない。こちらの心の余裕が試される話だった。
冒頭で真司があんた、名医なんだろうと感情を発露するシーンは本当に仕事帰りに観なくて良かった。世の中には説明出来るものと出来ないものが合って、感情は説明出来るものじゃないけれど落としどころをつけないといけないときもあって、真司の発露はそのときの本心だけれど、ぶつける場所が違うよと往なすことも出来ない。観ていてすごく苦しかった。私はどうしても、刃先を向けられる側で見てしまうから、真司の言葉は本当にすごく、ちょっと、だいぶ来た。
その真司の向けた刃先を少しずつ止めたのは尚で、真司の傍に尚がいることも7話目でようやくよかったなと思えた。
黒酢はちみつドリンクを飲みながら、陽が沈む公園で井原先生に電話しようとする真司の手をぐっと止めて。
そのシーンを見てなんでか分からないけれど、一日に陽は一度沈むけれど、また昇って来るんだよなとぼんやりと思った。私、けっこう楽観的なのかな。
あのシーンは閉ざしたわけじゃないんだと思う。未来を閉ざしたわけじゃない。
尚はこうと決まったら特急だか快速だかも降りるし、そこに向かって真っ直ぐで、今回の話で生きることを決めたんだと思う。病気とともに生きることを。
いままで、精神面でどちらかと言えば支えて欲しいと思う側だった尚が真司の涙を拭ったのはすごく意味があることだと思う。

起きたら病室で、歯磨きしてたら隣で真司が泣いてるし、泣いてるのに鼻に入ったとかごまかすし、すごく苦しそうな顔をしてたり、MCIからの進行の告知を受けた後の待合室で待っている間とか尚はたぶん真司が泣いてくることも、きっと何もなかったように戻ってくることも分かっていて、真司が泣き虫で弱いところもすべてひっくるめてでも一緒に歩きたいと思ったんだと思う。
帰路につくときに極力何でもなかったかのようになんとなくそんな気がしていた分かっていたと言って涙をこらえて、そのときはお互いの顔を見なかったけれど、どこかで黒酢はちみつドリンクを買って、公園のベンチで並んで飲んでようやくお互いの顔を見て言葉が必要ないくらいに涙をあのあと拭って、拭われたんだと思う。

病気に踏みにじられないように生きるための決起会のようなものだったのかもしれない。
観覧車の前を通って、手を繋ごうと手を繋いで、真司の昔のアパートに行って、ぼろい家と呟いて、本能のままにお腹が空いて、あの居酒屋に行って、アテレコして、本心を伝えて、抱き合って、ほつれていってしまう記憶でも、忘れてもいいよって言われて、その真司の目は苦しそうじゃなくて、そのいま感じているしあわせを紙じゃないけれど形にしたいと願う尚と一緒に生きていく真司の決起会。


そのひとつひとつを丁寧に描いているんだなと思える7話だった。
広大な砂漠のその真ん中に尚と真司は7話でテントを張ったんだとなんとなく思った。
1時間弱ずっとてのひらで抱えたままのコーヒーはすっかり冷めていて、ひといきに飲みきって、尚と真司の決起会じゃないけれど、新しいコーヒーを淹れ直すことにした。

あと、追記すべきは尚と薫さんの母娘って本当にすてきだなと思う。中盤の自宅のシーンはすごく癒しだった。
尚と薫さんは向かい合って座るんだなぁ。それはずっと二人が対等だったってことなのかな。尚と薫さんが向かい合って座るのと、尚と真司が隣り合って座るその描写がなんとなく好きだな。意味があるのかは分からないけれど。
後半の薫さんが酔いつぶれるシーン。母娘でも、仲のいい母娘だからこそ、言葉に出来なかったり苦しくなる気持ちを吐き出せる場所が、落ち込んでひとりで泣く場所が自宅じゃなかったんだろうな。誰の関心も向けられないBarのカウンターを選ぶ薫さん。すごく女手ひとつで生きて来た人だなとそれだけで思った。
まぁ、今回はお節介さんが居たけれど。


今回、本当にリアタイ出来たのは大きかったな。
明日は仕事が少しだけあるけれど、お休みでたっぷり寝たし、いっぱい考えられる。
尚のひとつひとつの所作が好きだけれど、今回は何よりも公園で治ってる戻ってると無理やり納得しようとする真司の手に手を重ねたところがいちばん来た。
昔どこかで読んだ言葉を思い出した。
「後悔はある、でも未練はない」
そう静かに告げたみたい。陽が沈む情景が何かの火を落としていくみたいだったけれど、あの神社でまた陽が昇るのをふたりで見たらいいと思う。また火を灯して明るい日を見つめたらいいと思う。