大恋愛 5話(追記2018.11.14)

5話を観た。大恋愛の。
ああ、もう5話なんだと思いながら、大恋愛のアップルパイをつつきながら観た。


HDの調子が悪かったのか、尚があのベンチで脳みそとアップルパイを読んでいるところで場面が飛んだ。それがすごく記憶の小間切れみたいで、ああ、そうだこれは若年性アルツハイマーの話だったと思った。
記憶の断片化が映像になったなと。
たぶん、おそらくは圧迫しているHDDの容量を空ければなだらかな流れになるんだろうけれど、これはこれでいいやと思った。
話はごくふつうに進んでいた。尚と真司は砂漠を進んでいるのだから、砂にちょっと足を取られるくらいの歩きづらい道を歩いているから、急な山や谷がなくてもいいんだろうと思った。
ふつうで。
30代と40代の恋の話に燃えあがるような情熱とかスリルとかよりは、手を繋ぎたくなるようなそんな日常にしあわせを大事にするドラマがあってもいいんだと思う。
アップルパイを食べる手が途中で止まって、フォークを行儀悪く咥えて観た結婚式の尚はすごくきれいで、しあわせそうだった。
途中からまた食べるのを再開したけれど、アップルパイなのになんでかレモン飴みたいな甘ずっぱい味が口の中でした。
尚と真司の恋を表現するとこの味になるのかなとぼんやりと思った。

うん、アップルパイはおいしかった。

とは、書いたものの、砂漠は日照りもきついし、平坦もずっと続くと足が痛くなるよね。じわじわと抗えない何かにふたりはオアシスを作れるんだろうか。

それとは別に、尚のあのビデオメッセージ怖かったな。自ら死ぬことです。って、足下がもうそのときには崩壊してしまっていたんだなと、思った。
よく、立っていたよ。9ヶ月も。
侑市と付き合って結婚しようとしていた頃の尚の考え方からあんなに恋愛に傾倒しちゃうんだなぁって思ったら単純に怖いなと思った。
思うと同時に対、人について、尚はすごく人間なんだなと。情が深いイメージが尚にはずっと持てていなかったんだけれど、そんなことは無いんだなと、思った。演者の性格も反映されるのかな。
あとは、緋山先生思い出した。2期の緋山先生。生きることに光を見いだせなくて思い詰めて行き着く先は死なんだな。医者が与えている希望とは真逆。尚も医師で、緋山も医師でそれだけ死に近いところにいるふたりの選択肢に自殺がある事が単純に怖いなと思った。ミチルは生きようとしていたもんな。逃げても生きようとしていた。大恋愛を見るとミチルを観たくなるんだけれど、尚とミチルは根底が違うんだな。当たり前だけれど。
尚はたぶん、幸せを手に入れたことで次に待ち構える子どもと言う考えにはたぶん、シフトしないんだろうと思う。授かることに病気のことを考えて、育てることが出来ないかもしれないと抵抗があって。この話最終的に子どもが光になるかもしれないと、ウチは思ったんだけれど、たぶん違うんだろうな。ミチルは子どもが光になったんだよね。香月さんとの子どもが。
そこが根本的に違うんだろうな。
その演じ分けを意識したものかは分からないけれど、確実に戸田さんはいま、尚を生きているんだなと、5話を見て思った。